国内PROJECT | 下水道
熊本県益城町災害
復旧支援プロジェクト
熊本県益城町
担当プロジェクトマネージャー
T.D.
2007年入社東京支社デザイン第1グループ
パイプデザインチーム (記事掲載時)
Story of the Project
震度7を2度観測した大地震
熊本県益城町は、平成28(2016)年4月に発生した熊本地震の折、わずか28時間の間に震度7の地震が2度発生するという観測史上初めての事象を経験し、町全体が壊滅的な被害を被りました。復旧に必要な財源を確保するためには国の災害査定による認定を受けなければなりませんでしたが、同町単独で査定に取り組むには人員が不足している状況でした。当社は発災直後から社員を現地に派遣し、災害査定図書の作成に向けた支援活動を開始、各地の自治体の協力を得ながら最終的にすべての下水道管きょ施設の災害査定図書を作成しました。
Story of the Project
想定を超える被災状況
最初に現地入りしたのは九州支社の社員たちでした。被災状況の確認では、地上からはもちろんのこと、地下に埋設された管路施設内までビデオカメラを用いて精緻に調査を進めました。ここで得た膨大な調査データを精査した結果、町の管路施設は我々の想定を大きく上回る被害を受けていることがわかりました。特に管きょについては断層の直下にあったためか、今まで見たことのない異常な壊れ方をしていました。通常、管のような丸いものは地震の力を受けると潰れたり、クラックが入る程度ですが、益城町のケースでは完全に上下に断裂していたり、ねじ切れているような現場もありました。
Story of the Project
スペシャリスト合同チームの編成
災害査定は時間との闘いで、一般的には発災後2、3か月以内に受検しなければなりません。九州支社の社員は総出で対応にあたっていましたが、被災施設の復旧に向けた工事工区分けを行ったところ、その数は20工区以上に膨れ上がり、支社単独で全ての工区をカバーすることはとても不可能な状況であることが判明しました。
九州支社からの至急の要請に従い、各地の支社から管路実施設計の専門家たちが招集され、私もすぐ現地入りしました。同時に、益城町とも支援協定を締結し、当社を幹事会社とする複数社で対応する体制を構築しました。過去に東日本大震災や中越地震の災害査定を経験していた私は、この業務の難しさ、厳しさを知っていたので相当の覚悟を持って現地に向かったことを覚えています。
Story of the Project
困難を乗り越えた先の100%承認
赴任してまず直面したのは、現地への立ち入りの難しさでした。震災当初は被災地近辺の宿泊施設が確保できないことから、はじめの1か月は支社のある博多と益城町を毎日車で往復することを余儀なくされました。高速道路も通行止めだったため、早朝に出発し夜遅くに博多まで戻ってくる生活が続きました。
現地では、下水処理場の会議室をお借りして時々刻々と更新される被災状況や国の査定方針に合わせて、資料の変更と取りまとめに多くの力を注ぐことになりました。昨日作成した資料がそのまま最終版ということにはならず、査定で指摘を受けては修正するということを繰り返す日々でした。前例のない規模での査定業務で、多くのトラブルや困難がありましたが、最終的に我々が申請した内容は査定で100%認められ、益城町の復興に大きく貢献することができたと考えています。
Story of the Project
公共の利益を確保するということ
今回の業務では、テレビの映像でしか見たことがないような被災地の壮絶な状況に自身が身を置く経験をしました。毎日宿泊先から仕事場である下水処理場へ向かう度に、倒壊した家屋、ひび割れ崩落した道路といった街中の惨状を目の当たりにし、この状況を早くどうにかしたいという思いが自然と込み上げてきました。
もう二度とこのような悲劇は起こって欲しくないですが、震災から約1年半が経過したころ、今回の経験を次に活かす取り組みが社内で始まりました。災害が発生したときは迅速かつ臨機応変な対応が重要になります。災害査定のやり方から会社としての体制づくり、時間の経過とともに必要な人員の数や役割が変わりますのでその都度の人選方法まで、全てマニュアル化して今後活用していく予定です。
地域住民の当たり前の生活を維持する、機能改善してさらに住みやすくする、つまり、公共の利益を確保することが私たちの仕事の1番の根底にあります。益城町での経験を糧に、これからも人々の生活に役立つ上下水道施設を設計していきたいと思います。